八幡東区祇園原町6-21
龍潜寺
龍潜寺は八幡出身の山本日諦上人が、日蓮上人ご生誕の地・大本山小湊誕生寺の火災後の復興を託され、八幡への移転再建を行ったお寺です。
創建されたのは慶長11年(1606)で、千葉県安房郡一帯の領主だった里見家9代、義康公の菩提を弔ったお寺でした。惜しくも慶応2年(1866)10月、大火で堂が焼失し、廃寺寸前に陥りました。明治9年(1876)、日諦上人が36歳のとき、管長から誕生寺復興の特命を受け、大本山貫首住職中の明治11年、移転再建を実現しました。
日諦上人は天保12年(1841)八幡東区前田で生まれ、5歳で母に死別。母を弔うため13歳で出家。16歳から京都、加賀、江戸に遊学。26歳の明治維新期、廃仏毀釈の乱が起こる中で僧道を復興しようと山篭り10年の願をかけ、27歳から荒行に入りました。修行中の明治6年、施行された戸籍法に対して出家者だからと戸籍を作らず、2年後、県知事の説得を受け戸籍作成に同意しますが、1年余りの違法の罪で投獄されます。その後、出獄を許されたものの「所払い」として故郷前田に送還されます。
明治7年4月、前田村に帰った日諦上人は上野与一郎の帰依を受け、屋敷内の持仏堂で法華経の布教を始め、これが龍潜寺の始まりでした。そして、明治9年からの誕生寺再建の大役を果たします。
明治16年、貫首を後進に譲って龍潜寺に帰った42歳からは、栄位、栄職にもつかず、布教に精進、その足跡は全国に及んでいます。明治38年(1905)65歳で死去。