八幡西区上上津役三丁目1
やから様
鎌倉幕府におわれた平家の落人(二人の女性と子供)が、この地で自害し、葬られたという伝承が残っているところです。
当地では小児の「憤る」を「やからを起こす」という言い方があります。
ここの由来には、「乳春子が、やから(みどり子の夜泣き)を云わねば、 知られなかったろうに心残りです」云々とあります。
また別の言い伝えとして、浄土宗の開祖一遍上人三十八歳のとき、九州太宰府で 聖達に
「いかに十念をばすすめずして、一遍をぱすすめ給ぞ」
と間うたので、一遍は、「十念も一念も同じである。南無阿弥陀仏こそ大切である。」という十一不二(トイチフジ)の論理を詳説しました。この一遍が作り出したのが、踊り念佛です。
この念仏踊りに 「ひさげ」をたたきてをどりたまいける」とありますが、このひさげが「ヤカラ」の前身である所からこの名前になったという説もあります。