八幡西区藤田一丁目10-44
春日神社
社伝によると、はじめ鳥野春日大明神といい、麻生氏に尊崇されたが、戦乱の中に衰微、慶長年間(1596~1615)、黒崎城主井上(いのうえ)周防(すほう)之房(ゆきふさ)が神夢によって、東川頭から山王山(現在地)に還宮したということです。
社宝として福岡藩が奉納した黒田二十四騎の画像があります。
●絹本(けんぽん)著色(ちゃくしょく)黒田二十四騎画像
藩祖黒田長政を合わせまつる春日神社に、江戸末期福岡藩は、長政の重臣24人の肖像を、抱え絵師の尾形洞霄(どうしょう)(狩野派)にかかせ奉納しました。縦150.1㎝、幅37㎝の掛け軸に一幅づつ描かれています。
なお、この画像は同社の春季大祭(4月20日頃)の時、一般に公開されます。
※市指定有形文化財(昭和50年3月22日指定)
●波多野文書
豊山八幡神社、春日神社の宮司・波多野家に伝存する中世末から近代にかけての古文書。これによると、春日神社は麻生氏の氏神社として崇敬され、麻生氏は戦国時代、特に中国の毛利氏と密接な関係があったことがわかります。
さらに、麻生氏は北九州の有力国人であった宗像氏と連合あるいは敵対関係にあったことなどがわかる貴重な資料となっています。
※市指定有形文化財(昭和58年2月21日指定)