八幡東区春の町四丁目4-1
豊山八幡神社
国道3号と旧電車通りの間の小高い丘に立つ豊山八幡神社は「八幡」の地名にゆかりのある神社です。
神功皇后が筑前宇美村で応神天皇をご出産され、穂波郡大分村から小倉村に行幸された折、この地を治めていた岡県主・熊鰐が応神天皇に御衣を献上しました。神功皇后は喜ばれて、天下が豊かなるよう祈られて、この丘を豊山(ゆたかやま)と名付け、地名の起源になったと伝えられています。
推古天皇の御代(飛鳥時代)に新羅国が侵入し、大和朝廷の軍が洞の海で軍団を整えていたとき、お告げがあり、「宇佐から八幡大神をこの地に迎えれば、新羅国は朝廷に従うであろう」という趣旨。戦を終えて帰朝後、今の西本町に八幡大神を勧請したのが始まりとされています。
光孝天皇の御代(平安時代)に現在地に神殿を建立して移遷。その後、枝光、前田、大蔵の3村に分霊が遷され、それぞれの氏神となっていました。
明治22年の市町村制実施で、尾倉、大蔵、枝光の三村が合併の際、三村の氏神様が「八幡神社」なので、八幡村と名づけられました。
影見池
境内の東側下に神社の飲料水に使われていた影見池があります。左遷された菅原道真公が太宰府へ向かう途中に立ち寄り、水面に映った我が身を見て「海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさん」と無念の心情を詠んだと伝えられ、歌碑と由緒標記があります。