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八幡西区楠橋上方一丁目4 広旗八幡宮内

彦六塚

 伊藤彦六は、現在の中間市で生まれました。
楠橋村庄屋を46歳頃から18年間つとめ、66歳頃病没しました。
そのころは、遠賀川の氾濫が頻繁にあり、米は3年に一度くらい収穫できるのがやっとでした。彦六は、堤防工事や農地の整備に私財を投じて、農業の発展につくしました。
 また村の広旗八幡宮を再建する際には、石炭産出の収益金を当てて、村民に負担をかけないようにしました。
 彦六塚は、楠橋村の人びとがその業績をたたえて、死没した嘉永元年(1848)に彦六築造の堤防がある付近に建立しました。
 大正15年1月頃、広旗八幡宮境内に移設され、「伊藤彦六翁頌徳碑」が現在も残っています。 もう一度、彦六塚は、昭和55年8月彦六堤防ゆかりの現在地に移されました。
 彦六によって築造された堤防の位置は、彦六塚がある「八幡西区楠橋唐熊」から、「中間市土手の内」かぶと岩の間、と伝えられています。

【アクセス】 筑豊電鉄楠橋駅下車、徒歩15分