八幡西区幸ノ神三丁目8・小嶺一丁目3
茶屋の原二丁目5
幸ノ神の一里塚
小嶺の一里塚
茶屋の原の一里塚
一里塚は、街道の両側に一里(通常約4キロメートル)ごとに設けられた塚です。
戦国時代の末期にすでに存在していましたが、本格的に整備されたのは、慶長9年(1604)二代徳川秀忠の時からです。
一里塚の上には榎(えのき)、松などが植えられ、江戸日本橋から全国への里程(道程)を旅人に知らせる目印となりました。
小倉から長崎までの長崎街道にも一里塚が設けられ、 八幡西区内には幸神(さいのかみ)、小嶺(こみね)、茶の原、六本松(旧木屋瀬はずれ)に一里塚がありました。小嶺と茶の原の間は距離が一里に満たず、六合道(ろくごうみち)と呼ばれていました。これはこの付近に、アケ坂、石坂などの険しい坂道があったことを配慮したものと思われます。