八幡西区岸の浦二丁目6
曲里(まがり)の松並木
徳川家康の天下統一がなると、幕府は重要道路として東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道を設けました。
この幹線から分かれる多くの支線を脇街道と呼び、北九州市内を通っていた長崎街道もその一つです。
長崎街道は小倉城下(常盤橋)を起点とし、筑前六宿(黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田)を経て、長崎に通じる重要な道路でした。
この松並木は、幕府が全国の街道に、松や杉を植樹させた名残で、昔日の長崎街道の面影をとどめています。
※市指定史跡(昭和46年4月21日指定)
【アクセス】 JR黒崎駅より徒歩10分(バス停、熊手四ツ角より徒歩1分)