八幡西区屋敷一丁目9(城山緑地公園)
黒崎城跡
城山または道伯山(どうはくざん)と呼ばれる丘が黒崎城の跡です。
慶長5年(1600)、関ケ原の戦功によって、黒田長政は豊前中津12万石から筑前52万3千石の大名となって名島城に入りました。
長政は翌6年から福岡城の築造にかかりました。同時に国の要衝の地に、この黒崎城をはじめ、中ノ島城(若松城)、大隈城、鷹取城、小石原城、左右(まて)良(ら)城の六端城(はじろ)を慶長15年(1610)までに築造しました。
黒崎城には黒田二十四騎の一人、井上周防(すほうの)之房(ゆきふさ)(1万7500石)が入りました。
しかし、慶長20年(1615)、幕府の一国一城令により黒崎城は、わずか10数年で破却されました。