小倉北区田町19 西小倉公園内
到津口門跡
江戸時代には九州諸藩の藩主、長崎奉行、外国人や、江戸に連れて行く象までが往来したという長崎街道の出入口です。
門の外は左右に土手と堀が連なり、内側には、三角形の約千坪の「勢溜」といわれる広場がありました。門司口と共に昼夜開門し、番所には二十人が勤めていたといいます。
「勢溜」の周辺には万徳寺、西応寺のほか、明治以降廃寺になった本立寺、明照寺、見徳寺とお寺が立ち並んでいました。外敵の侵入の際に砦にするためであったといいます。
幕末の絵図には「到津口」と記されていますが、明治の地図では「筑前口」となっています。