小倉北区大門二丁目
大門跡
道路下の遺跡
常盤橋が出発点の長崎街道の室町の通りを西に進むと、最初の門が大門です。名は大門ですが、特に大きい門ではありませんでした。
江戸時代は此の北側は海岸で、潮の流れや、北風のため、山のように海藻が打ち上げられていたといいます。そのためこの附近を「大藻」と呼び、それが訛って「大門」となりました。
また、慶長7年(1602)細川忠興公が小倉城を築く時に、菊原又兵衛という酒造家が住んでいたので、「菊原街」と呼んでいましたが、寛永9年(1632)小笠原忠真公が転封して来て大門町と改めたといいます。
平成17年夏地中1メートルから見つかった基礎の石塁は高さ1.8メートル、幅3メートル園一部を平成19年10月20日からガラス越しにみれるようになりました。道路下の遺跡を現状保存したまま展示するのは、本市初。
長崎街道は門をくぐって妙乗寺前を左折し、次の通りを西に進みます。