小倉北区城内2
小倉城
細川忠興が慶長7年(1602)に築造した城で、勝山城・湧金城とも呼ばれており、当時の天守閣は、五重六層で屋根には破風もなく、特に五重目の上段は張り出しとなっており、初期天守の望楼に通じる珍しい外観構造《唐造り(からづくり)》でした。
細川氏の後に入居した小笠原氏は、慶応2年(1866)第二次長州征伐で長州軍に攻め入られ田川に撤退する際に、自ら城に火を放ち、小倉城は灰燼に帰しました。
現在の天守閣(四重五層)は昭和34年に建てられたものです。平成2年、外観はそのまま残し、ハイテクを駆使して新しい小倉城に生まれ変わりました。小倉の城下町をジオラマで再現している歴史ゾーン・映像体験ゾーン・小倉の街を一望できる展望ゾーンなどで構成されています。
● 入城料 一般350円 中高生200円 小学生100円
● 開城時間 4~10月 9:00~18:00 / 11~3月 9:00~17:00
● ライトアップ 18時~22時(年中)
●小倉城の 大太鼓のこと
現在小倉城にある大太鼓は、直径1m60㎝、ケヤキの一本造りで、中を刳り貫いたもの。大太鼓の皮は牛一頭分が必要という大きさです。打てる太鼓としてはもっとも大きいものの一つといわれています。この大太鼓の内側に寛永3年(1626)殿様の命によって明石の住人直吉が作ったと書かれています。
寛永3年といえば、小倉藩祖小笠原忠真公が、明石十万石の領主時代で、小倉入府は、寛永9年ですから、入府の時に一役かったものでしょうか。小倉城が燃える前に運び出され、戸畑の八幡神社に移され、その後、下関の赤間神宮に譲られ、昭和44年に再びもどってきたといわれます。もしその当時のものであれば、102年ぶりに小倉城に帰ったことになります。