門司区大字門司和布刈公園内 明石与次兵衛の塔 文禄元年(1592)豊臣秀吉は、母の急病を知り急ぎ大坂城に向かいました。 途中、船奉行明石与次兵衛の過失により大里沖の篠瀬で船が座礁しましたが、秀吉は危うく難をのがれました。与次兵衛はその責任をとって切腹したといわれます。 のちに豊前に入国した細川忠興は、与次兵衛の死をいたむと共に、航路安全のため塔を建てました。 【アクセス】 バス停、和布刈公園前下車