小倉北区勝山公園内
劉寒吉碑
明治39年、北九州市小倉北区魚町に生まれました。昭和7年に岩下俊作、中村 暢らと、小倉で詩誌「とらんしっと」を創刊。昭和14年「人間競走」芥川賞候補、昭和18年「十時大尉」直木賞候補など「九州文学」を支えた功績は大きく評価されています。
昭和61年死去、享年79歳。主な著書は「山河の賦」「天草四郎」「黒田騒動」「炎の記録」片すみの椅子」「「わが一期一会」「劉寒吉詩集」「劉寒吉自選作品集」ほか。
「吹くは風ばかり」 劉寒吉 と刻まれています。
また 劉寒吉の書いた文言が無法松の碑のそばに残っています。
「古船場町の人富島松五郎は無法松の名をもって知られたが、その性純情にして清爽、哀切の生涯は吾等の胸を打つものがあった。
無法松は岩下俊作の詩と夢の世界に生まれた永遠の人間像である。
市井の歌である。美と愛の精神である。」 劉 寒吉 識