小倉北区二丁目7 JR小倉駅南口ロータリー西側
森鴎外 小倉京町旧居跡
第12師団軍医部長として赴任した森鷗外は、明治32年6月から同35年3月まで小倉に居住しました。
その前半は鍛冶町の家にあり、後半、33年の暮れから第1師団に転任して東京へ去るまで、京町5丁目154番地に住んでいました。しかし京町の旧居は小倉駅の移転にともない、駅前広場の一部となってしまいました。
茂子夫人と新婚生活をおくり「即興詩人」の名訳を完成し、のちに、明治の小倉の風物を活写した小説「独身」の舞台となるなど、鷗外文学にとって記念すべき京町の家は、この碑の南25メートルの場所にありました。