八幡西区藤田一丁目5-28 浄蓮寺境内
紅梅地蔵
八幡西区の花尾山には、鎌倉時代から戦国時代にかけて四百年ほど続いた 麻生氏の花尾城趾があります。
麻生氏の十四代城主重郷は、京都の公家の姫紅梅を側室に迎えました。重郷に心からつくしましたので、新しく「花の御殿」を建造し、姫が喜び そうな品物をそろえたりしました。正妻柏井の方は、心おだやかではありません 。
そこで腹心と計らって紅梅姫に無実の罪を着せました。重郷は柏井の方の諜略に 乗せられ今まで姫を可愛がっていたぶん、よけいに姫を憎むようになりました。
紅梅姫は御殿を去り、山にこもって暮しました。
そして満月の夜に、「私は無実ですどうぞ私のこの恨みをお晴らしくださいと」、自らのどを刺して、 息絶えてしまいました。
「花の御殿」は紅梅姫が去ったあと、重郷の娘八重が住んで おりました。そしてここに住むようになってから病に伏すことが多くなりました。
ある日、母の柏井の方が見舞いに訪れると、八重は突然母を引き倒し、 馬乗りになると「私は紅梅じゃ。お前は私に無実の罪をきせた。この恨み、 今こそ晴らしてくれる。」と叫び小刀で切りかかりました。
柏井の方は 苦しみながら死んでしまいました。その後も次々と柏井の方に手を貸した家来は 、 気が狂い悲惨な死を遂げました。いずれの時も頭上高く馬のひづめの音が響き、 月明りの中に馬を駆る紅梅姫の姿を見たということでした。
重郷は紅梅の無実を知ると、たいそう後悔し、地蔵をまつって紅梅姫の霊を慰め ました。その後は花尾城での不幸な事件は後を絶ったといわれています。