八幡西区上上津役三丁目1番
やから様
平家の落人の悲しい話を伝える「やからさま」という、小さなほこらが上の原にあります。
戦に敗れた平家の人々は、安全な場所をさがして、転々としていました。
ある秋の夕暮れのことです。上の原の街道を、一人は母親で、もう一人は乳母らしく、乳飲み子抱えた二人連がいました。
「きょうは、このあたりで野宿をしましょう。」二人は、街道をそれて、人目のとどかない谷間に腰をおろしました。夕やみがせまり、通る人も少なくなったとき、伊藤兵衛尉の追っ手が通りかかりました。
二人は、息をこらして、通りすぎるのを待ちましたが、 そのとき、子供が泣き出しその声に、武士たちは、たちまちまわりをと取りかこみました。
「わたくしたちの運命も、もはやこれまで。」母親はそういうと、ふところにあった短刀で、いとしい幼子さし自分も乳母といっしょに自害してしまいました。
伊藤兵衛尉は、この母子をあわれに思い、小さなほこらを作ってとむらいました。幼い子どもが、親を困らせることを"やから"ということから、このほこらを"やからさま"と呼ぶようになりました。
上の原にある「やからさま」には、子どもの夜泣きをなおしてもらおうと、お参りにくるお母さんが今もあとを絶ちません。