八幡東区東田地区
最初はスペースワールドから
東田地区は明治34年(1901)、わが国初の官営製鐵所に火入れが行われた日本近代産業発祥の地です。北九州市のほぼ中央部に位置し、日本の近代化を支えてきました。しかし、産業・社会構造の変化で八幡製鐵所に遊休地が生まれ、108ヘクタールもの広大な土地の有効活用が都市再生の鍵を握るようになりました。
昭和62年、東田地区のマスタープラン構想調査が行われ、63年12月に策定された「北九州市ルネッサンス構想」では東田を「産業住宅コンプレックスゾーン」と位置づけ、産業、文化、生活が融合した「新創造拠点都市」をめざすこととなり、官民一体の街づくりが始まりました。
平成2年のスペースワールド開業、平成6年の東田都市区画整理組合設立、11年のJR鹿児島本線移設高架及び新駅完成、13年の都市高速道路乗り入れ、道路・公園整備などと相まって、全く新しい市街地が誕生しました。13年に開かれた「北九州博覧祭2001」は“新東田”を全国に発信しました。
この間、情報関連産業をはじめ、3つの博物館、さらには大型商業施設も次々に完成、18年11月にはイオン八幡東店もオープン、「緑と知と文化の地」に再生しつつあります。