門司区ノーフォーク広場
ノーフォーク広場
関門の海は、船の交通の要所でした。江戸時代には北陸から日本海を下り、この関門の海を通って大阪に向かう“北前船”でたいへんにぎわっていました。この北前船にまつわるお話が、梶ヶ鼻(ノーフォーク広場の辺り)にあります。
そのむかし、この梶ヶ鼻に宗童という貧しい男が住んでいました。
ある晩、宗童が人に頼まれて小倉の町まで出かけました。
その時、舟がとまっており、そばで男たちが何やらこそこそうごめいています。
「こんな夜ふけに、いったい何をしとるんじゃ。」宗童は不思議に思っていましたが、用事があるので、その場を立ち去りました。
男たちのあやしいそぶりを思い出した宗童は、砂浜をほり返してみることにしました。箱の中から「大判、小判がざくざく出てくるではありませんか。たくさんの宝を前に、宗童はいったいどうしてよいのか良い考えが浮かんできません。考えあぐねた宗童が、梶ヶ鼻の岩に座り込んで、関門の海を見つめていると、ささの葉がゆらゆらと流れてきました。一枚、二枚、三枚・・・。数えてみると、九十九枚めまでは、ちゃんと流れていくのに、百枚めだけは目の前に来ると沈んでしまいます。不思議なことに、なんど数えても同じことでした。
「そうか、これは、神さまがこの宝で九十九の船をつくれと言っとるんじゃ。そうにちがいない。」そう思うと、宗童はさっそく九十九そうの船をつくりました。宗童の船は、どんな嵐にあっても沈まず、いつも無事に港に着くので評判になり、仕事がたくさんきました。こうして宗童は、たいへん大金持ちになりました。そして、もうけたお金は高価な朱といっしょにつぼに入れて、城山の山頂にうめました。それから数百年後、山頂からたくさんのつぼが出てきました。そのつぼを海に捨てたところ、関門の海が朱で真っ赤にそまってしまったそうです。